いわき市へ

2011年3月29日

3月11日に発生した地震と津波で、福島県いわき市は大被害を受けました。いわき市は、被災した福島第一原子力発電所から南に40キロ(25マイル)ほどの近い位置にあるため、住民の1%は放射線の影響を懸念して避難しています。その地域の放射線量は安全な範囲内であるにもかかわらず、極めて危険であるとの見方から、ほとんどの運送業者はいわき市近辺に物資を運ぶことを拒否しています。
そのため、いわき市周辺の避難所の被災者の方々に、靴下と励ましの手紙を届けてほしいと依頼されました。地元の行政リーダーの方々から、放射線は安全なレベルであると断言されており、私たちも、独自の調査でそれを確認しました。日曜日の放射線のレベルは、いわき市で暮らす人々にとっても、危険なレベルではありませんでした。ですから、私たちがいわき市に日帰りで出掛けても安全です。
次なる克服すべき課題は、ガソリンでした。佐野市のガソリンスタンドでは3時間待ちなので、更に北上すると、事態は悪化するであろうことは察しがつきます。まさにその通り、いわき市での待ち時間は半日以上でした。佐野市からいわき市まで200キロ(125マイル)あるので、いわき市周辺を回って靴下と手紙を届けた後で、帰りにどこかでガソリンを補給しないといけません。幸いにも、果敢な我が調査チームが、帰りの途中の水戸市では、ガソリンのある一定の供給が、限られた待ち時間で維持されていることを探し出しました。確かなことは何もありませんが、いわき市まで行って、靴下を届けて、佐野市への帰りの途中の水戸市でガソリン補給ができる可能性があるようです。
下図は、私たちの拠点が左下に示された佐野市からいわき市まで地図です。いわき市は、報告致しましたように、私たちが1週間前に訪問した北茨城市より更に北部に位置するので、福島原発により近いことがお分かりになると思います。

Map showing the route from Sano to Iwaki

次の地図は、いわき市と福島原発が至近距離にあることを示しています。

Map showing proximity of Iwaki to Fukushima Daiichi nuclear power plant

私、ジェイソンとボランティアのるみこさんが今回は行くことになりました。私たちは、靴下1900足と励ましの手紙を車に積み込んで、3月27日(日曜日)午前6時15分に佐野市を出発しました。道路は再開され空いており、私たちの活動が、他の救援活動の妨げにならないことが確認できました。いわき市の長蛇の列を避ける選択肢を調べておいてよかった、水戸市でのガソリンの状況は報告どおりであってほしいと願いました。
写真グリッドをクリックすると、ギャラリーのすべての写真を見ることができます。荷物を積み込んだところ、高速道路、いわき市のガソリンスタンドでの列の写真です。

Photos of the road to Iwaki

いわき市の被害は、1週間前に北茨城市で目にした被害とは異なるものでした。そこで私は、壊滅した町々、家族の生活が破壊されてしまったのを見ました。いわき市を通って運転すると、さらに産業が破壊されているのが明らかになりました。いわき市の被害は大規模なものです。ですが、北茨城市の被害の方が個人的には強い印象を受けました。とはいえ、落胆させられるものでした。

Photos of damage in Iwaki

市はあちらこちらに避難所を分散させており、被害のため、道路の多くが通行止めになっていました。通行止めになるべき道路がなっていないところもありました。地震による陥没穴や、通れないほどアスファルトが盛り上がった箇所を避けて走行するために、ほぼ停止に近い速度まで減速しなければならないことが数回ありました。危険箇所に工事用コーンが置かれているところもありましたが、多くは置かれていませんでした。地震による「スピードバンプ(減速用の道路上のこぶ)」で、車のサスペンションを危うく失いそうになった後、その日はそれ以降、もっと注意して運転しました。私が車内で待っている間、るみこさんが避難所への行き方を被災者の方に聞いている写真です。

Photos of getting directions in Iwaki

いわき市の避難所は、北茨城市の避難所よりはるかに大規模なものでした。私たちが訪問すると、責任者の方が、避難者の様々なグループの現在場所を探し出すために、名簿表を調べないといけませんでした。1週間前と同様、責任者の方は、避難者の方々を名前で知っておられるわけではありませんでした。北茨城市では、供給は近辺から個人のトラックで届けられていました。いわき市では、物資は、自衛隊部隊によりトラックで避難所に運び込まれており、文字どおり、大勢の隊員によって運び出され、積み上げられてありました。
既に前から大量に届いた靴下と励ましの手紙の、私たちの心ばかりの貢献が、時間の無駄になってしまうのでは、と私たちは心配しました。しかしながら、再度私たちの調査が功を奏しました。靴下はごたごたの中でなくなってしまい、主な支援の到着後に補充の必要があること、そして、安らぎをもたらすことが、私たちが配り始める前から明らかになりました。本当です!靴下と下着は依然として需要が多く、一日中、多くの方々が、励ましの手紙に元気づけられると話してくださいました。 政府および自衛隊は、食糧の供給ラインを設置して、標準的な課題である毛布を配給することは得意としますが、手作業で高品質な靴下をパッケージにして、1枚の紙に愛情をこめることは得意としません。大切なのは心です。私たちは、この活動を始めたときにそう信じていました。そして、避難所に訪問するごとに、それが十分に確認されます。たとえ大規模で十分な物資の供給がなされた避難所であっても。いわき市でのいくつかの避難所の規模は、圧倒されるものでした。

Photos of big shelters in Iwaki

私たちは、明るいインパクトを作り出す最良の方法は、大きな声で、元気よくアナウンスすることだということを学びました。「こんにちは、皆さん!私たちは、世界中から皆さんに靴下と励ましの手紙を送る人々を代表するボランティアのものです! 世界中があなたを応援しています!一人ではありません! 新しい靴下と新しい友達からの励ましの手紙を取りに来てください!」
被災者の方々は、すぐに立ち上がって、私たちの荷物の周りに集まってきて質問したり、早口で話しかけてこられます。「これは誰から?」「向こうでも、ここのことを知っているの?」「本当、誰かが私たちのためにこれを送ってきたの?」「あの人が今そう言っていたよ」避難所の活力がすぐさま上がり、みなさんが靴下を選んだり、励ましの手紙を読み始めたり、比べ合ったりする間、その状態が続きます。その日訪れたうちで大規模な避難所の1つであるこの避難所で、東京でコーヒー店を経営している外国人の方が、無料のコーヒーサービスを行っており、それがさらに元気づけています。

Photos of sock distribution in Iwaki

コーヒーの香りと見慣れた器具が、コロラド州のロングモント市で、「レッドフロッグコーヒー」という名のコーヒー店を経営する私の妹のことを思い出させ、一瞬の安らぎを与えてくれました。私は、ほんの少し手を止めると、私と妹の店、遠くに雪を頂に乗せたミーカー山の姿、妹のエミリーがカウンター越しに微笑んでいるのが、すぐに心の中に浮かんできて、良い時があったと感じました。東京のコーヒー店のオーナーは、私の夢見るような表情を見て、近くにやってきました。「コーヒーは好きですか?」彼は英語で尋ねました。「とても」と私は答えました。「私は妹と一緒にコロラド州でコーヒー店を経営しています。妹に会いたい」彼は私にカップを手渡して、「これはあなたに、友達よ」と、男性として最高に温かい微笑みで彼は言いました。まさにそのようなときこそが、人生の意義を感じる時です。
ゆきこさんといわれる地元の女性が、被災者のみなさんを元気付けていました。それは、彼女にうってつけの仕事のように見えました。彼女は、笑おう、町のことで泣くのはもうやめよう、将来について話そう、日本が過去に成し遂げたことを忘れないで、とみんなに話しかけていました。彼女は、高齢者の方を順々に回って、励ましの手紙を読みましたか、靴下をはいてみましたか、と確かめていました。それから、みんなで一緒に誇りの写真を取りましょうと呼びかけました。「へこたれていないことを世界に見せましょう!」と、彼女は大きな声で言いました。「皆さんからの励ましに感動しているところを見せましょう。あきらめないところを見せましょう!」これが、後ろの列はガッツポーズで撮った写真です。

Photo of survivors in Iwaki showing they'll never give up

他の避難所に移動中に、放射線区域内は、まだ食物とガソリンが深刻に不足していることがはっきりと分かりました。佐野市でガソリン給油待ちの列や空の棚を見かけましたが、それは、いわき市の空虚さと比べると、単に活気のある日の結果のように見えます。商品で溢れているはずのコンビニのこの寂しい風景を見てください。

Photo of empty shelves at a 7/11 in Iwaki Photo of empty shelves at a 7/11 in Iwaki

私たちが訪問した最も悲惨な避難所のうちの1つは、奥まった山中の小学校で、被災者の方々が個別の教室で避難生活を送られています。避難者のほとんどが高齢者の方で、けがをされている方、病気の方もおられます。しかし、みなさんが、被災時のこと、そして、救援が届いていないことを私たちに熱心に話されます。元気な方はすぐに靴下をはいて見られました。励ましの手紙で、みなさんは目に輝きを取り戻し、たいていの場合、それが涙につながります。
ある男の人が、自分の家や近所の家々が全壊してしまったので、十分な数の公営住宅ができたら、そこで住むしか今は選択がないと、私に話してくれました。私は、家を再建する費用が保険でカバーできないのかと、尋ねると、その地区のほとんどの住民は、地震と津波の両方を補償する保険には入っていない、と話してくれました。「政府の支援の話があるけど、まだ話しだけ」、その人は言われました。
隣の部屋では、一家族が座って静かに話をしていました。靴下はいりませんか、と私たちが尋ねると、母親は「ください!」と答え、息子さんに「靴下よ!新しい靴下よ!」と言いました。彼女は、赤いジャケットを着て布団に座って、マスクを通してにっこり微笑みながら、早速手紙を読んでおられました。
また別の部屋には、妊娠中の女性が家族の方と一緒に座っておられました。私が予定日はいつですか、と尋ねると、「もういつでも。いいタイミングでしょう」と言われました。私たちは、その人とその人の家族に靴下を渡しました。その人は気兼ねした様子で、「新生児の女の子用の靴下はないですよね」と尋ねられました。私たちは大喜びで、実際、新生児用の靴下があるのでそれを取ってきます、と答えました。数分後に、その人は数足の靴下を手にとって、娘の最初の靴下が善意の手紙と一緒に他の国から来たことを、ずっと覚えておきますと言われました。
訪問したときに、席をはずしていた方もおられたので、後で受け取ってもらおうと、何足かの靴下を布団の上に置いていきました。他のだれもが、靴下がどこから来て、どうやって届けられたのかを説明するから安心して、と言われました。みなさんが、私たちからのパッケージが特別なものだということを分かってくださり、お知り合いの方にも必ずそのことを伝えてもらえる、と思うと嬉しかったです。その避難所で撮った写真です。

Photos of the old and young of Iwaki

みずのくにおさんという80歳の女性の方は、私たちが訪問したときに席をはずしていた人たちのために、余分の靴下をもらえないかと尋ねられました。みずのさんは、受け取った靴下のうちの1足に入っていた手紙を読んで、ありがたい、と言われました。みずのさんは涙もろくなられて、何度も目を拭いておられました。それがるみこさんにもうつって、二人は廊下に立って、お互いを慰め合っていました。みずのさんは、数足の靴下を床に何度も落とされて、私は、彼女に合うような小さい袋がないことを謝りながら、それを拾ってはみずのさんに手渡しました。
みずのさんは、受け取った靴下に入っていたメッセージに心が打たれた、と話してくれました。みずのさんは、ご主人が70歳、本人は80歳で、自宅の床が津波でだめになったので、家族の将来を心配されています。「この学校にずっと居るわけにはいかないけど、お金を得て、ここの外で何か再建するのはとても無理なこと」と話してくれました。みずのさんの息子さんは大工なので、今後の復興で息子さんに仕事が見つかるのではと、私たちは言いました。でも知るすべはなく、突っ込んだ話をする時期ではとてもありません。
みずのさんとご主人のために何もすることができなくて申し訳ないと、るみこさんがみずのさんに伝えました。みずのさんは、こうして励ましに来てもらえただけで、素晴らしいことをしてくれた、と答えました。「政府以上、町以上のことをやってくれたよ」みずのさんは、靴下と励ましの手紙を送ってくれたみなさんに、みずのさんの「心からの」深い感謝の気持ちを伝えてくださいと、両手を胸にあてて、熱心に言われました。これは、みずのさんがるみこさんに、自宅の床が津波で破壊された様子を話している写真です。

Photo of Rumiko listening to Mrs Mizuno

訪問する避難所は数多くありますが、ガソリンが少なくなってきたので、いわき市で残りわずかな走行距離をどこに費やすか、優先的に決めなければなりませんでした。私たちは、避難者数と距離によって順位づけして、主に若い世代の家族を世話している避難所に立ち寄りました。子供たちは、自分たちの英語をしきりに試してみたがり、私たちが教科書どおりの対応をすると、声を出して笑いました。子供たちは、その日靴下の新しい語彙を学び、靴下と一緒に受け取った翻訳された励ましの手紙から、他の語句も学びました。あるお父さんは、他の人たちが言っていたように「ようやっと」と言いながら、早速新しい靴下に履き替えておられました。これがその避難所です。

Photos of a young family shelter in Iwaki

私たちは、1,114足の靴下を届けただけで、まだ陽があるうちにいわき市を去るのが辛かったです。私たちは、希望していただけのことを達成することができず、計画していた数の避難所に行くことができませんでした。しかし帰りの高速道路からの光景が、まだまだやるべきことはこの先たくさんあることを、私たちに再認識させました。

Photos of tossed cars in Iwaki

水戸市でのガソリンの状況は、まさしく報告通りでした。高速を降りて、満タンにして、約20分で帰路に戻りました。ガソリンの状況は、引き続き改善されており、今後より多くの人々に届けることができると思います。是非ご協力ください。友人、家族を失い、住んでいた近辺がこのようになってしまった被災者の方を元気づけるのは、まだ遅くはないのです。

Photo of a destroyed neighborhood in Iwaki

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